インタビュー
「株式会社川畑板金」

代表取締役 川畑 忠行

そして経営者へ(家業~企業、理念、他)

続きまして、無給で働いていた社長がどのように経営者になっていかれたか、お伺いできればと思います。

 戻ってきても状況は分かっていましたから、実家暮らしで、お小遣い程度の給料をもらいながら、5・6年は借金の返済に明け暮れていました。
取引先さんに支払いを待ってもらったり、話しができるお客様から少し前倒しで振り込んでもらったり。
 とにかくできることは何でも、これ以上ないんじゃないかと思えるくらいやってきました。

 そんな中で少しずつ、本当に少しずつ、お客様との信頼関係ができてきて、業績も少しずつ回復していきました。
 今思えば、下請け板金一本でしたけどね、まだ。
ひたすら「見積りさせてください」「図面下さい」と、お願いして回るくらいしかできませんでした。

 そんな状態が5年ほど続き、ひとまず危機的な状況を脱したのがちょうど創業40周年の年でしたので、そのタイミングで会社を株式会社化して、私が代表に就任しました。
 それで経営者になったかと聞かれると、どうでしょうか。
当時は、リーマンショックや政権交代があった時で、まだまだ会社も私も不安定な状況だったと思います。

その後、雨漏りのお医者さんやリフレ、ちきゅうと、営業の武器を手に元請化にシフトして行かれる訳ですが、その起点は何だったのでしょうか。

 きっかけは、組合活動(青年部)に出てくれと言われて、多くの仲間と話しをするようになったことですかね。
 そこで、インターネットで集客を図る雨漏り専門の事業をやろう、という話しがあって、手を挙げたのが九州では私だけでした。
決まった時に手数料は取られるが、出資も何もいらない、そんな仕組みは怪しい、何か裏があるぞ、というのが大半の意見だったようです。

 それでも私は、何かを見ていたんでしょうね。
 下請けで頭を下げて仕事をもらうことも大切だが、元請としてやる仕事の比率も増やさなければいけない、と思っていた矢先でしたので、迷わずその事業に参画しました。

社長になられる前後から、元請比率を増やそうとは思っていらっしゃったのですね。

 いや、頭の片隅にはあったのですが、危機的な状況の時に応援してくれたお客様や、その当時のお客様から反発が出るだろうからできないね、やれたらいいね、でもできないね、と思っていました。
 その数年後に訪れたチャンスだったので、もう迷いはありませんでした。

良いですね。
これぞ経営者としての判断や行動ですね。

 実際やってみて、元請の仕事は慣れていないので大変でしたが、自分たちで価格を決められるという、最大のメリットがありました。
当時はまだ先代の時の延長で、仕事をすれども利益は少ない状態が続いていましたから、そこに一つ風穴を開けれたかなと思います。
 行動してみてもう一つ。
心配していた既存のお客様の反応も、ふたを開けてみると、仕事を取る取らないというレベルの話しではなく、逆に、屋根のことを詳しく知ってくれているという信頼感が高まりました。

 最初は敵対して仕事が無くなるかもと思っていましたし、覚悟もしていましたが、今思えば、雨漏りというのはお客様にとって敬遠する仕事だったのだと思います。
それを我々が引き受けるわけですから。

お住まいの方が困っているのだから、敬遠する人に代わって、プロの技術を提供しますよ、というわけですね。

こういうお話しを聞かせていただくと「みんなを笑顔にする」という理念の片鱗が見えてきたように感じます。

 ですから、いつ経営者になったかというと、代表を交代した時ではなく、自らが会社の代表として何らかの決断を下した時なのかなと思います。

その後も、リフレの採用やちきゅうへの加盟、社内では社会保険への再加入と、取り組みを加速させていかれています。

 リフレとの出会いは、一緒に雨漏りのお医者さんをしていた先輩経営者さんから連絡をいただいて、自分たちの技術が活かせる商品だと思い、取り扱いを始めました。
 信頼できる人からの紹介だったとはいえ、本来石橋を叩いて渡る性格のはずなのですが、その時は即断して決めました。
直感でした。

 代表交代して、雨漏りのお医者さんに加盟して、組合活動をやりながら営業と施工と施工管理と。
あわただしく過ごしている最中、今度は私が屋根から落ちて。  いったい私は何がやりたいのだろうかと、あらためて経営理念を見つめ直していた時でしたので、決断は直感でしたが、そこには私の確固たる思いがありました

当時の経営理念がこちらです。

お客様の財産と生命を守り、新しい価値観を 提供する会社であり続ける
自主性を重んじ、一人一人が能動的に考え 成長する会社であり続ける
持てる技術と品質の、適正な対価を 還元する会社であり続ける

まだ「みんなの笑顔」という言葉がありませんね。

 その後、加盟するちきゅうの全国会議でも、本当は何がしたいのかと、よく聞かれました。
ちきゅうという会は、リフレや経営の勉強もするのですが、参加者が遠慮なく意見し合えるのが特徴でしたから。
格好つけるな、もっと分かりやすく、本当は何がしたいんだ、と言われて、もう一度自分と向き合う良い機会になりました。

 家業が大変だからと実家に戻ってきた、経営が大変だからと無給で働いた、下請けが大変だからと元請事業を始めた。

 なぜ?

 生命財産を守りたい、新しい価値観を提供したい、自主性を重んじたい、利益を還元したい。

 なぜ?

 私は結局皆を笑顔にしたいだけだったんだ、と気付くまでに時間はかかりませんでした。

現在の経営理念がこちら。

屋根からみんなを笑顔にする

経営者、川畑忠行の誕生ですね。

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