今回は、地元高知県を中心に四国4県で、町場から野丁場、寺社仏閣まであらゆる建築物の外装、
省エネ防災工事を請け負っておられます、株式会社オガサ製工の小笠原社長にお話をお伺いします。
株式会社オガサ製工は、一般的な建築板金工事だけではなく、
自社に金属加工部門を設けて様々な建材を自社で企画・開発・製造・販売もされており、
南海トラフ地震に備えて開発された『減災ルーフ』が高知県の防災関連製品に認定されるなど、
屋根から人と企業を守ることを信念にされている会社です。
代表取締役 小笠原 孝彦
㈱オガサ製工が大切にしていること
まずは、社長を含め㈱オガサ製工が大切にしておられることをお聞きしてもよろしいでしょうか。
はい、
弊社として大事にしていること、大切にしていることは、お客様ももちろんそうなんですけど、まずは従業員さん社員さんですね。
従業員さんが日々お客様に商品だったりサービスだったりを提供しますので、やっぱり従業員さんがいなきゃできないことだなと思っています。
まず、従業員さんありきで、次にお客様にサービスを提供する、というのが私も含めて弊社が大事にしているところですね。
商品やサービスを提供するのは人であって、その人がどういう技術であり知識でありというものをお客様に提供できるか、というのは大切にしなければいけない事ですね。
従業員さんも同じような考え方で、日々行動しておられるのでしょうか。
そう思いますね。
常日頃、毎日とまではいかないんですけど、週一回とか月一回とか、自分たちのスタイル、行動だったり、お客様への対応だったり、自分自身が持つポリシーだったりとか。
仕事の理念というものを、しっかりと今の主軸にしてお客様に対応するようにって、念仏のように唱えています。
その辺がね、少しでも伝わっていればいいかなと思ってます。
お客様からの、後日サポートの声とか、アンケートとか、そういうのを聞くと、「すごく施工が良かったんで」とか、「スタッフの対応がすごく良かったのが嬉しかったです」とか、言ってもらえてるので、その辺の対応がしっかりできているのかな、常日頃言ってることがまあまんざらでもないかな、と自負はしています。
最初からそうだった訳ではないと思うのですが。
いま振り返ってみて、社長の中で、この辺から少しずつ皆の意識が、自分と同じ考え方をしてもらえるようになってきたな、というタイミングか、もしくは出来事のようなものがあられたのでしょうか?
そうですね、ありましたね。
うちの会社は今年で28期目になりまして、30年近く営業してるんですけど、創業からいうと今年で55年になります。2代目である私が父から受け継いで家業をやっていく中で、やはり従業員のことを思ったりとか、お客さんのことよりも、まずは仕事を一番にメインにしてる時期がありました。
だから、仕事をしていればお客さんも満足してくれるだろうとか、従業員もしっかりとお客さんのことを考えて仕事してくれるんだろうとか、そう思ってました。
とにかく仕事っていうことが一番だったので・・・
とにかく仕事が一番だと思ってたので、そうなると、やはり勤めてる従業員さんと気持ちが離れていっちゃうって事があって、それでも色々とお仕事もやってたのですが、なかなか利益が出なかったりとか、効率が悪かったりとか・・・
そういう状態だと、従業員さんに貢献できることも少なかったりして、人の出入りとかも非常に多かったですね。
その頃ちょうどリーマンショックで、会社としても取引先が潰れちゃったりとか、ますます経営的にもしんどくなってきていて、今度はどうしても会社の建て直しの方がメインになってきちゃって、さらに従業員さんとの距離が離れていってしまってました。
そんなこんななんで、仕事もなかなかうまくいかないから、従業員さんとの関係もうまくいかない、経営もうまくいかない・・・
というところで、さて、どうしたものかなと、考えた時にですね、ここは本当に自分が勤めたい会社なのかなって、ちょっと考え直してみたんです。
これは誰から言われたわけでもないのですが、私自身がそもそもこの家業が嫌で、大学で全然違う分野に進学して、全然違う分野に就職したい、とにかく家業から逃げたくて県外に出てたんです。でも、やっぱり家業が良いと思って帰ってきた。
そんな経緯があるにもかかわらず、なんで私はこんなしんどい思いをして、ここで仕事してるんだろうかと、そんなことを色々考えていくと、私は社長だからここで仕事ができてるんじゃないか、果たして私が従業員という立場だったら、果たしてこの会社は務めやすい会社なのかって思ったんです。
そこからは、いろんな物事とというか経営というか、仕事に対するというか従業員さんに対するというか、お客様に商品やサービスを提供するということはどういうことなんだとか、色々考え直してみました。
それこそ経営理念だったり、会社ってなんだとか、従業員さんに対してどういう会社であれば幸せに仕事ができるんだろうか、とかね。その上で、お客様にどんなサービスなり仕事が提供できるのか・・
そういったことをイチから考え直す時期がありまして、そこからですね。
会社というものは、ということで、従業員さんへの対応であったり、考え方であったりとか、そういうところが変わっていったきっかけですね。
やはり会社が本当に窮地に陥った時に、このままじゃいかんっていうのが、起爆剤になったんでしょうかね。
その当時から今も残っておられる従業員さんは、それこそ厳しい時代も知っているし、社長が思い悩まれていたことも知っておられる。
その方々が社長と共に変われた、ということも大きいかも知れませんね。