インタビュー
「株式会社秋重板金工業」

取締役会長 秋重 正久(会長)

代表取締役 秋重 正幸(社長)

約30年間の社長時代に印象に残っていること

そこから野丁場を中心に進められるようになって30年、社長業をやってこられたわけですが、印象に残っている嬉しかった事/辛かった事はございますでしょうか。

(会長)
昔、板金工事以外の工事を請けた事があるんよ、鉄骨を組んでくれ言われてね。
そんな工事は工期通り行きゃあせんがね。そんで弱ってね、終っても金もらえんような感じになってきてよ。
んで、得意先のゼネコンさんに相談して、鉄工所やらを紹介してもらって間に合わせたんやけど。

その時は、やっぱり専門外の仕事はあんまりやるもんじゃないと思った。どうにもこうにもならんと。
信用しとった鉄工所の職人が、やりゃあせんのよ、工程通りに。

それやね困った事は。

(会長)
鉄骨だって何だって言ってくれゆうて、調子に乗ってやろうとしたら、これがやりゃあせんのよ。
色んな仕事が入ってくるから、ちょっと今できんとか、ちょっと待ってくれとか、現場は待っちょるのにね。

なるべく専門以外の事は請負っちゃダメと思ったね。
自分ではどうにもならんもん。

30年というと、バブルもあればリーマンもあったと思いますが、当時はやはり厳しい状況だったのでしょうか。

(会長)
そうやね、昔から景気がいい時でも元請けは予算があるとは言わんのよね。予算がない、いつも予算がないと。
景気がバブルの時でもね、こっちはバブルも経験していないわけ。いつも、バブルの時も、予算がないって言われる、予算はあるのに。

今は大手ゼネコンが多いけど、地場はね、どこも一回もないね。予算あるからしっかりやろうっていうのは。
いつも値切る。いつも予算がない。

バブルの時代はやり切れんほど仕事があった。
それでも、予算がないって値切ってくるから、そういう時代でも儲かったためしがないね。

では、バブルが崩壊しようが、リーマンショックだろうが、元々厳しい単価要求で経営をされてきてたので、そんなに景気が悪くなったという感覚はないという事ですか。

それは、これまで色々な方にお話を伺いましたが、初めてのご意見、視点ですね。

(会長)
あの頃は大手ゼネコンは莫大に儲けたらしいけど、やっぱり予算はないって言いよったね。
でも最近は、一部大手じゃけど、下請けを大事にせにゃいかんと分かってきたから、くれよるようになってきた。

最近は、建設業の職人も少なるし、育てないといけないという気持ちも分かってきたから、あまり値切らんくなった。
相変わらず仕事はたくさんあるから、ええ単価で発注してもろて儲けさせてもろてる。

昔は儲からんかったけどね。
世の中の流れだろうね。

その儲かったお金で、人を育てて、そしてしっかりとした体制で、またお客様の要望に応える。
好循環が生まれてきていますね。

当時、そういう苦労を会長がされていた時代、社長はおいくつぐらいだったのでしょうか

(社長)
歳がちょうど30違うんで、5歳くらいの時ですね

18歳の時に香川の大学に行くために県外に出て、そのまま卒業して愛媛の設計事務所に勤めていたので、地元を離れるまでの約15年間は会長の仕事を、子供ながらに見ていました

その後、30歳で帰ってきたから、約12年間の空白があるんですけど…

なるほど
その10年間で何があったのか。社長のお話はまた後程お聞きするとして

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